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勤労感謝の日に湯島聖堂の「神農廟」で「神農祭」が行われました。財団法人斯文会(斯文とは儒教の学問の意)が主催し、神農奉讃会が協賛するという形で行われています。この奉賛会の代表は矢数圭堂先生で、漢方と薬剤師関係の12団体が加盟していて、交流の場にもなっています。(今年は廟の中に入ってお参りが出来ました)
神農奉讃会加盟団体
医道の日本社 日本医史学会 日本漢方協会 日本東洋医学会 東亜医学協会 文京区薬剤師会 神田薬剤師会 方術信和会 温知会 日本内経医学会 日本漢方振興会 東京臨床中医学研究会
以下 当日配布された式次第に書かれていた湯島聖堂の神農像とそのお祭りの由来についてを要約してお知らせいたします。
@神農像の由来
987年に中国の皇帝から留学僧によって渡来し、神農像としては日本最古のものと言われていました。その時、一緒に渡来した釈迦像は国宝になっています。そうだとすれば、この神農像も国宝級となると思われ、調査が行われました。像の体内は空でしたが、その蓋である背扉の内側に由来が書かれていました。徳川三代将軍家光が寛永14年に雑司ヶ谷に薬苑を作ったこと。初代の責任者が山下宗啄であったこと。宗琢が明石清左衛門藤原真信に彫らしたこと。それを寛永17年(1640年)に安置したことが書かれていました。彫刻師以外は歴史書で確認されているそうです。これにより、この像は徳川家光の時代のものと判明しました。
A神農廟について
1690年
5代将軍綱吉は湯島に聖堂を創建
1698
雑司ヶ谷の薬苑に護国寺を建てるため、湯島聖堂の東北の位置に神農廟を設け神農像を移した。
1797
11代将軍家斎の時、神田佐久間町の医学館に遷座
1868
明治維新で農商務省博物局に陳列
1883
浅田宗伯らは模刻するためとして借り受け、温知社(和漢医学講習所)に遷座
1887
温知社が解散したため、浅田宗伯の屋敷に遷座
浅田宗伯の東宮侍医の功により浅田宗伯に下賜され、浅田家の所有となる
1923
関東大震災で神農祀堂が壊れたことと浅田の医系が絶えることにより高弟の木村博昭の自宅(本郷曙町)へ遷
1925
木村博昭宅本郷・富士前町に移転し立派な祀堂に入る
1943
前年に木村長久が軍医として応召されるにあたり、斯文会に寄贈・文部省に献納し、現在の位置に廟を建て安置
B神農祭について
江戸医学館では、春秋の2度、将軍の崇信篤く官祭としてお祭りが行われていましたが、明治政府のものとなってからはお祭りは途絶えていました。
戦後は昭和28年1953年から斯文会が主催し神農奉讃会(当初は神農史蹟礼賛会)の協賛で行われ、今年で51回となっています。
(文中の氏名に敬称を略させていただきましたことをお許しください)
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